2007年01月28日

昭和50年代の世相

『昭和史の天皇』保存版は、昭和55年11月から再刊されたことは前にも触れた。

その内容と別に、今ではちょっと考えられない興味深いことがある。

この本そのものが、個人へのインタビュー、聞き書きで成り立っているからおびただしい数の人々が登場する。
証言者たちは、政官界の著名人から通訳や運転手などまで各界各層の人々だ。

そして、それぞれがその場にいた当事者しか知りえない事実を真摯に語っている。読んでいてまさに、歴史の内側に入り込んで行くような不思議なトリップ感で、それこそ時間を忘れてしまう。

驚くのは証言者のほぼ全員の、証言時の現住所が地番まで詳しく記載されていることにだ。戦中、終戦時の地位、階級、職業、そして昭和40年代=証言時の職業や勤務先までがはっきりと記されている。

これってすごくないですか?
発表時は一番部数の多いとされたた大衆紙に、そして不特定多数の人間が手にする一般書籍にです。

さらに、10余年後の再刊にそのまま収録されている。

そうです、少なくとも1980年頃までは、日本はいまより安心で安全な国だったんです。

日本人の民度がまだ高かったんです。日本人が日本人を信じていました。
多分、数字を調べればわかるはずですが、まわりの外国人の数は今よりはるかに少なかったはずです。日本人同士だからという暗黙の信頼、言ってみれば、日本人の絆がいまよりは太くて強かった。

プライバシーを必死で守らなくても、他人の私事に立ち入るような卑しいことはだれも思いもしなかった。それが「浅ましいこと」「はしたないこと」だと、大人も子供も自然に承知していました。
誰に教わらなくても、いわばそれが「日本という社会の空気」だった。

ちょっと家をあけるのに、鍵なんかかけませんでしたよね、まだその頃は。

いま、こんな日本にだれがしたんでしょうね?
posted by shuuin at 18:04| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

硫黄島ふたたび

日本人なら「いおうじま」とは言わない。

そう言っただけでは、納得のいかない人もいるかもしれないと気づく。
今はそういう時代なのだから、いちいち丁寧に説明しなければいけないのではないか?
ひよんなことで、あるブログに出会ったら以下のようなことが書かれてた。

 >なんども「いおうとう」と(コメンテイターが)いっていたが、当然これは誤りである。正しくは、「いおうじま」。いおうとうは鹿児島県沖にある小さな島、云々。

恐れ入ってしまうところだが、それでは先人たちに申し訳ない。

これは国語、つまり日本語の表現の問題なのだ。
今のように日本語が乱れに乱れ、国語力に至っては有史以来最低レベルにまで落ち込んでると思うしかない昨今では、もはや諦めるしかないのか。

それにしても、昔の日本人はえらい。いつ、誰が呼び始めて名がついたかわからない昔から、この国の地名、島の名や山の名をきちっと正しい呼び方をしているのに気づいて欲しい。

例えば、石垣島はイシガキジマ、礼文島はレブントウ、三笠山はミカサヤマ、鳥海山はチョウカイサン・・・。
だから、外国人がなんと読もうと、自分を日本人と思いたいのなら真似ばかりしないで正しい名を言って欲しい。
誰だって、自分の名前を勝手な読み方されたら不愉快なはずだ。

だから、富士山はフジサン、硫黄島はイオウトウなのだ。
先祖は音読みと訓読みをつかいわけて、この国の美しい自然を呼んでいた。
重箱読み、湯桶読みをさけていたらしいのが見てとれる。
例外もあるが、それにはそれなりの文化史的理由があるようだ。

伝統的な呼称には、歴史的な重みも深い意味もあるはずである。
地名を簡単に替えるのは、絶対にひかえるべきだ。
わたしには、こういう呼称・名称も『遺産』だと思えるのだ。
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2007年01月24日

硫黄島について

近頃にわかによく見聞きする日本の島の一つである。
なぜそうなったのかは、周知のことだから触れない。

ただ、ニュースや報道番組でこの島の名を耳にするたび不快になる。
なにかちくりと、棘が刺さったような感じがする。そう感じるのは自分だけなのか。

なんであの島が、イオウジマ なんだ?
いつからそう呼ぶようになったんだ?誰が決めたんだ?

実はなぜそうなったかは分かっている・・・

でもねぇ、日本人は昔からずーっとあの島のこと「いおうとう」と呼んできた。長いことずっとね、それが歴史的にも正式な呼称だ。
戦後だって、ずっとそう呼んでいた。NHKラジオの第二放送に気象情報というのがあった。今もあるかもしれないが?
で、「・・・イオウトウでは、西の風、風力4、天気は晴れ、1015ミリバール、・・・」と流れてゆく。レポート用紙に罫線引いて、一生懸命メモっていたから間違いない。宿題でもないのに中学時代そんなことをしてた。

戦争映画が流行っていた?が、そのなかの一本に原題『IWOUJIMA』というのがあった。たしかモノクロだったが、例の星条旗のたてられるシーンのある、日本人には辛い一本だった。
連中は、イオウジマって呼んだのか!そんな感じだった。
まさかそれで、島の名前が永久に変えられてしまうなんて想像もしなかった。

富士山をフジヤマって呼ばれたって笑って許してたけど、でも日本人は誰一人そんな名称使わなかった。
それだのに、なんでイオウジマなんだろう。もし島にも心があったらきっと泣いてるかもしれない。

で、オスカーにもノミネートされた『硫黄島からの手紙』。
ハリウッド映画だから仕方ないとして、出演者たちが映画の中でイオウジマなんて言ったら許さないからな。あの時代の日本人、そんな言葉間違っても使わないから。その辺の時代考証はちゃんとしてるんだろうな。
ナ〜ンテ・・・実はそれが心配で映画を見に行けない。だれか、教えて欲しいデス。



ラベル:硫黄島
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2007年01月23日

歴史のつながり

いま読んでいる『昭和史の天皇』で、書かれている記事はもう既に六十年余り昔のことである。
とかく日本人は忘れっぽいとされるが、現代の気ぜわしい風潮のせいもあるのか、世界の歴史はおろか自分の国の歴史さえ知らないで生きている。

「おまえ本当に日本人かァ〜?」
が、テレビでの島田伸介のツッコミであるうちはお笑いで済むかもしれない。しかし外国人にまで歴史を知らないと侮りを受けてるとなると、これはもう笑っている場合ではないだろう。

話は変わるが、過日テレビでこんな報道にであった。
たしか大阪のどこかだったが、車の行きかう道路の歩道にずらりと商品を並べて商売をしてる連中がいた。露天商ではない、いきなり歩道でフリーマーケットが帯状につながってる状態だ。これがなんと全部中国人!しかもかがんで色々手に取ってる客がいるのだ。ばかな客がいると思いきや、これがまた在日の中国人らしい。
歩道は占拠されてるから、付近の住民は大人も子供もしかたなしに車道の端を通るしかない。
取材依頼を受けたかどうか知らぬが、女子アが現場を報じていた。唖然としたのは、ここからだ。
「ここは歩道ですから、まずいんじゃないですか?」
「なにがまずいんだ、こっちの勝手だろ」
「歩行者に迷惑がかかるでしょ・・・」
なんとその中国人の男が吠えた言葉が、
「おまえら日本人は、俺たちの国で散々迷惑かけたくせに、そんなことが言えるのか?」
味噌もクソモも一緒くたの屁理屈に近い暴言だが、もっと驚いたのはそのあとである。女子アナは急に口をつぐんで、無言で退散したのである。
番組はここで終わった。この手の番組は続きがないのが常だから、その後どうなったのかは知らない。会話のやり取りは、記憶で書いてるのだが大筋で違ってはいないはずだ。

思うに若い人たちは、歴史をとりわけ現代史を学んでないから一言の反論も出来ないのであろう。ということは日本人の誇りも持てずにいることになる。いや、若い人に限らないかもしれない。団塊の世代以降、まるで後ろめたいアキレス腱のように、自国の歴史をネグッてきたのではないか。

歴史はつながっている。「三丁目の夕日」にノスタルジーを感じたら、後十年、二十年さかのぼってみないか。「硫黄島の手紙」は、そこに収まる。そして、戦争とは別の日本人の誇りがそこに見つかるはずだ。
ラベル:日本人の誇り
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2007年01月14日

昭和史の一級史料

『昭和史の天皇』が書籍名である。遍者は読売新聞社。
つまりこれは、昭和40年代の初めに読売新聞が長期連載した記事をそのまま収録したものである。

手元の本の奥付をみると、昭和55年第1刷になっている。つまり10数年後ハードカバーの保存版が発刊されているわけである。そのことだけでもこの本の内容が多くの人々の目で検証されていることが分かる。
このことは、資史料としての信頼性、信憑性の証しにもなっているはずである。

これほどの優れた書物が、人口に膾炙せず忘れられ、いやむしろ知られていないのはなぜなのか?
もしかしたらその題名のせいかもしれない。
読売新聞が連載記事のタイトルになぜこれを選んだのか?
いくつかの理由が浮かぶが、それはそれとして、いまこの題名を見るとなんとなく敬遠してしまう人も多いのではないか?そんな気がする。

その中身は、昭和という時代の証言、昭和史証言集とでも言うべき最優秀のノンフィクションである。
登場する証言者の多様さと、ある意味華麗なまでに豪華な歴史上の人物たちの、時代の瞬間・現場に立ち会った生の声はまさに感動ものである。

すべての日本人に、何か一つ「教科書」を選ぶとしたら、私はこれを選ぶ。
第一とにかく面白い。事実は小説より奇なり、という言葉を思わずつぶやくこと請け合いだ。
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2007年01月13日

ダヴィンチコードより面白い

いま読んでいる本がめちゃくちゃに面白い。
何が面白いかといって、一言で言い表せないほど面白い。
なぜこれほどの宝物を読まずにおいたかと自分を責めたくなる。

自分の手元にあったにもかかわらずだ。
そう、購入したまま読まずに放置して25年が経っていた。
だから余計に悔しいのかもしれない。
いつか読もうと30巻、本屋さんに届けてもらったことで良しとする。

ふとしたことで、昭和史の終戦前を調べたくなったので手に取った。
読み出してからは、興味津々まさに息つぐまもなくいま11巻目、まだまだ楽しみは残っている。 (続く)
posted by shuuin at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月12日

情けは人の・・・

「反日宣伝ビラ」事件で捕まえたイチムという男の白状から、半年かかって事件は落着する。

そのイチムだが、自供してすぐ留置場から出して、自分たち憲兵の宿舎の一部屋に軟禁したという。あるとき、
「一度、奥さんに会わせに帰宅させてやりたいが、必ず戻ってくるか」
と聞くと「戻る」というので帰宅させてやった。
ところが、翌朝になっても帰って来ないから、上官の許可もなしに独断で許可した藤原曹長も心配したはずだ。
そこへ、分隊長の片山清一大尉から呼び出され、
「お前変なことをしたな」
「いや、情報収集にやらせたんです」
「大ばか者、そういうことは俺に連絡してからやれ。イチムは他の憲兵隊につかまったんだ。本人も迷惑なら、こっちも迷惑だ。すぐもらい下げの手続きをせい」
まさかほかの憲兵隊(マニラに3つの憲兵分隊があった)につかまるとは夢にも思わなかったから、藤原曹長は閉口して、もらい下げに・・・。
部下を処罰せずに、ことをうまくおさめた片山大尉もえらい上官といえる。

で、ドラマはこれからだが、ここは本の中の藤原曹長の言葉をそのまま引用したい。
「敗戦後、米軍の収容所に入れられたとき、われわれ憲兵はシラミつぶしに摘発され、片っぱしから軍事裁判にかけられたものです。まあ、わたしなんかの下っ端は裁判まではゆきませんでしたが、片山さんはやられた。ところが、ちょうどその裁判の陪審員がこのラモン・イムチで、顔を見るなり、
『裁判長、この人は...』
と当時のことを説明してくれたので、片山さんは無罪釈放されたのでした。憲兵の中にもそういう人がいた、とわかってもらえればありがたいわけです・・・」

ひとつのエピソードだが、歴史の表面には決して出ることのない無数のドラマを当事者だけがもっているのだなと改めて思ったりする。
posted by shuuin at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

七縦七擒

〈しちじゅうしちきん〉
三国志にくわしい人には、あ〜諸葛孔明の・・・って分かるかも。
ちなみに広辞苑にもちゃんと載っている。
ただし辞書には「敵を七度放って、七度とりこにすること」だと。
分かったような、わけのわからない説明がついている。

今朝読んだ本のなかに、この言葉がでてきた。
三国志ではなくて、現代史の昭和戦中のくだりである。

大東亜戦争で日本軍が比島つまりフィリピンを占領してたときである。
「軍政」について、当時のさまざまな人が生の証言をしているのだが、
その中の憲兵曹長(下士官)の話のなかにでてくる。

軍の野戦憲兵隊長長浜大佐が常々部下に、七縦七擒を説いていた。
「敵を七度捕まえれば七度とも逃がしてやれ、逃がせば敵は、得たりと
再起をはかってくるだろうが、七度目には味方になる。それが真の勇者
のすることだ」と。
だから部下として、隊長の主義を体して捕まえたゲリラを根気よく説得
を繰り返した。一週間目に涙を流して白状して・・・

憲兵=悪者、憲兵=拷問という固定観念のようなものがなんとなくある
ようだが、勝手な決めつけは間違いだなと改めて思った。

このくだりには、ある後日談があるのだがそれはまた明日にでも・・・

そうそう、憲兵は兵隊の犯罪を取り締まるのが本来任務?
ただ野戦憲兵隊の任務第一は敵側情報の収集で、次が軍隊の犯罪の取り
締まり、だそうだ。これも今日はじめて知った。


posted by shuuin at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

剃刀の刃と愛国心

この頃、ひげを剃るとき両刃の剃刀を使う。

人は知らぬが、これまでの人生考えてみれば色々な道具を使ってきた。
電気剃刀ばっかりの時期もあった。
かと思うと、ゾーリンゲンのレザーを皮砥で研いで使ったり・・・
これはお洒落だった親父のまねだった。

そして今、両刃の安全がみそりに戻ってきた。
なによりの魅力は刃の薄さなのかもしれない。

で、暮れに替え刃の予備をと近所のドラッグストアに行ったら驚いた。
インジェクター方式ばかりで両刃がない。
いや、隅っこに一つだけあったが「フェザー」だった。
一瞬躊躇し迷ったあげくしぶしぶ購入した。

私の中で何十年の間、替え刃はシック、ジレット、ウイルキンソンの
どれかにきまっていたからだ。

で、今朝それを使って鏡の中で目をむいた。
あれ〜?このそり心地??いい切れ味してる。
ここで「フェザーさんごめんなさい」というべきかも・・・

これからは国産にします!
ウィルキンソンのサーベル3本まとめて両断する日本刀の国だものナ。
なんて一人でにんまりしてしまった。

愛国心って、国産のものを愛用することだものね。
ラベル:愛国心
posted by shuuin at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

お芽でとうございます。

今日は「だるま市」をどこかのお大師さんでやっているとか。
新しい年には、これからいろいろな「初○○」が続くのが楽しみ。

ところで、この日にやっとブログを開くことができた。

で、タイトルは遅れた新年のご挨拶と、ブログ開設できた自分にです。

これから日々に、よしなしごとをつぶやくかもしれません。
お目にとまったら、どうぞよろしくお願いします。

posted by shuuin at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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