2007年03月02日

旗艦を替えて

「駆逐艦を呼べ」
栗田長官の旗艦変更の決断は早かったという。呼ぶまでもなく、直衛駆逐艦「岸波」「朝霜」がスーッと近づいてきた、と。
傾斜した甲板を滑り降りて海中に逃れた小柳参謀長は、かって開戦前にこの「愛宕」の艦長だった。それだけに乗員たちが戦う前に艦と運命をともにするのかと、断腸の思いがあったと語っている。

艦隊司令部は士官一人がいなくなっただけで、全幕僚が「岸波」の甲板で顔を合わせたそうである。

ところでレイテ沖海戦では、多くの艦長が自艦と運命をともにしているが、「愛宕」の荒木艦長は退艦してのちに水雷学校教頭になっている。
「謎の反転」で歴史に名を残した栗田司令長官が、帰投してすぐ兵学校校長になっているが、実は小柳富次参謀長は水雷学校校長になる。陸に上がっても「愛宕」の仲間は一緒だったことになる。人間関係の不思議というべきだろうか?

駆逐艦の貧弱な通信設備では、艦隊の指揮はとれないということで、しばらくは「大和」の宇垣中将に指揮をとらせながら、敵潜のいる海域から逃れて前進を続ける。
沈没から8時間後の13:00頃、並走していた「岸波」を「大和」に近づけて移乗をすることに。波による駆逐艦の揺れで難作業になり、16:23までかかっている。

どんな小さなことでもその現場では、プロフェッショナルたちの目に見えない苦労があるものだが、まして戦場ではなおさらであったろう。

「艦橋にあがって、栗田さんが苦笑しながら『うまくやられたよ』といえば、宇垣さんも『長官これからですよ』というようなやりとりがあって・・・」
と参謀長が語っている。

かくして艦隊司令部と戦隊司令部が同じ艦橋で、仕事をするという珍しいことが出来した。
「武蔵」「長門」に直接命令するのは宇垣司令官であるわけで、
普通は戦場で事故があって、旗艦を変えるときは、戦隊司令官の旗艦以外を選ぶのが慣例になっていたという。

あえて「大和」を選んだのは通信設備が優秀だったからだと、参謀長は証言している。戦場が広大だから他の艦隊との連絡が肝心だから、と。

通信の問題はこの作戦では、後に大きな謎を残しているが・・・
ちなみに、このあと二つの輪形陣を組む栗田艦隊では、ほかに「能代」「妙高」「金剛」「矢矧」「熊野」の各艦が将旗を掲げていた。

タグ:旗艦 通信
posted by shuuin at 18:42| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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