2007年03月04日

航空機と軍艦

「水上部隊にとって空襲ほどいやなものはない。猛牛と毒蜂の群れのケンカみたいなもの、ケンカにならない」

もとはといえば、山本五十六が編み出した戦法ですが、2,3年の間に逆手に取られてしまった。
戦法は一度使えば敵味方とも学ぶわけで、これは現代のスポーツの世界でも同じことかも。受け止め方で、学習の差は出ます。

わかっていても行かなければならない戦場もあるわけで、第二艦隊も内地を出る前、全艦槍ぶすまのように対空火器を積んでいます。海軍工廠は全力で改装工事をしています。

攻撃を受けた栗田艦隊が、主砲、副砲、高角砲、機銃を一斉に撃ったのを参謀長いわく、
「まるで、ジョウロで‘火の水’まくみたいに撃ちましたが・・・」

「三式弾」というのは、戦艦の特殊対空焼夷弾として開発された
もので、上空で爆発すると小さな無数の弾が散らばる。今のクラスター爆弾みたいなものかな?
まえに、ガダルカナル島を砲撃したときのがこれ。

そういえば、戦艦「金剛」「榛名」のガ島砲撃も山本五十六聯合艦隊司令長官の発案でしたね。やむにやまれぬ命令だったが、実行戦隊の司令官が栗田健男で、戦艦による陸上攻撃という前代未聞の命令を拒んだ。
山本長官が「自分が行く」といったことで、まわりが止めるのに困ったということがありました。

この戦法で学んだのは、またも米軍でした。
帆船時代から、戦列艦は陸の攻撃は避けるものでその役目は砲艦のものでした。
ガ島でかなり飛行場に被害を受けたアメリカは、すぐにこの戦法が有効なことを知って採用したわけです。レイテ上陸でも、ノルマンディでも。
沖縄や硫黄島(いおうとう)の上陸前の、すさまじい艦砲射撃の威力を、後に日本人はいやというほど思い知らされますね。
ちなみに、このとき栗田司令官が攻撃予定を早めに切り上げたために、作戦の目的は中途半端に終わったのですが・・・

あのときの「金剛」「榛名」は、いま栗田艦隊の第二部隊として「武蔵」たち第一部隊の6キロ後方を続いて進んでいます。

人にも艦にも、歴史の因縁みたいなものを感じてしまいますが。











posted by shuuin at 15:36| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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