2007年03月06日

魚雷が26本、直撃16発が・・・

不沈艦といわれた戦艦「武蔵」を襲うのですが、先に触れた第一波に続いて敵の攻撃機は五波の雷爆撃を繰り返しました。

この第一波襲撃で、「武蔵」の前にいた重巡「妙高」のスクリューが一本やられ速力が出せなくなりました。
艦隊行動がとれないから、単独でブルネイに帰します。
これ以上駆逐艦をさけないから、護衛なしです。
たまたま、「妙高」が第5戦隊旗艦だったので司令官らは「羽黒」に旗艦を代えて移乗します。
敵機の襲撃の合間に、敵潜情報のたびに一斉回頭をしながらですから、戦場の乗組員の働きはわれわれの想像を超えるものがあります。

12:03 第二波、30機。

攻撃は「武蔵」に集中。「武蔵」が死にもの狂いで、左右に回避運動をしながら勇戦奮闘しているのが、「大和」から見えたそうです。時々、巨艦が水柱におおわれて、見えなくなったと・・・

魚雷3本、命中爆弾2発、至近弾多数。艦首が下がって、速力22ノット(約40キロ)で遅れだします。

昭和17年8月15日に軍艦旗を掲げた「武蔵」に、11月から副長として乗艦、最後まで4代の艦長に仕えた加藤憲吉大佐がこの艦の末期を見届けています。

副長は戦闘中は第二艦橋で防御指揮をとるのだそうですが、被害状況を一番わかる立場といえるかもしれません。

かって欧州を親善訪問した日本の軍艦がありましたが、その独特の司令塔・艦橋構造物の美しさに、ヨーロッパの貴婦人たちが魅了されたというはなしがありました。
あの艦橋ってどうなってるのか?

一番上、主砲指揮所。
二番目、戦闘指揮所。(露天つまり屋根無し)
三番目、第一艦橋。(猪口艦長はここで戦闘指揮)
四番目、第二艦橋。(加藤副長はここで防御指揮)

「大和」なら司令部のみなが第一艦橋にいたわけでしょうね。
森下艦長のほかに、栗田中将、宇垣中将、小柳少将ほかが・・・

「武蔵」の艦内では全乗組員が一つになって敵と戦いながら、愛する自艦を守ろうと文字どうり死力を尽くしていたはずです。
それどころか、艦隊任務を果たそうとなおも前進をつづけていたのです。

そのなかには、先に轟沈した「摩耶」の乗組員400名もいたのですが・・・
posted by shuuin at 17:00| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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