2007年03月25日

男の勇気

艦長に託された手帳を、油紙に包んで胸ポケットに納めてから副長加藤大佐は軍艦旗などの始末をさせた。

そして、上甲板の三番砲塔に総員を集めて退艦のことを話す。

 「皆よく頑張ってくれたが、もはや武蔵を救うことはできぬ。
 退艦して、各員自由行動をとれ」


左傾した艦の、右舷から逃れたものが助からなかった、と。
艦側にびっしりついた牡蠣のせいで、滑ったり足を傷つけると泳げないという。
左舷に、跳びこんでも巨艦が転覆したため、渦に巻かれて海中に没したものが多かったと。

転覆して沈没するのはあっという間だったそうである。

見守っていた駆逐艦「濱風」が、あわてて避退するほどの大渦巻きだったと、救助にあったった乗組員が語っている。

「武蔵」は、やはり巨大な戦艦だったのだ。
造船所の船台を滑りおりる進水式で、海水がちょっとした津波をおこして、付近の民家が浸水したという秘話を思い出す。
たぶん予測をこえる出来事だったのだろう。
当時、「武蔵」のことは極秘であるから、話が広まらないように苦心があったのだとか・・・


実は、沈没のまえの19:09に「濱風」は、猪口艦長から、
「至急左舷に横付けせよ」の、命令を受けている。
なんとか、横付けをしようとしたが、海上はすでに闇でしかも「武蔵」の傾斜も加わって、果たせなかった、と。

重油の海にもがく仲間を助けようと、二隻の駆逐艦の奮闘は八時間続いたそうである。

夜になって風波がたかまって、漂流者たちが散らばって余計に困難がくわわっている。(曇天、風向北、風速9〜13メートル)
潜水艦警戒で移動しながらの救助作業。曇り空では星明りすらない。

「濱風」艦長前川萬衛中佐は、果敢にも探照灯照射を決断している。海戦で傷ついた艦を処理するために、敵潜が集結してるはずの海面である。
人命救助のために、自己犠牲をかえりみない男の勇気に、脱帽する。

「濱風」は副長以下准士官以上44名、下士官兵860名を収容。

定員の3倍の人員で、艦内は超満員。居住区を遭難者に明け渡して、砲塔内でゴロ寝したとあとで乗組員が語っている。

「清霜」でも、同じような状態であったろう。

かれらは皆、日本海軍という運命共同体の一人一人であったのだな、とふと思う。

海の藻屑と消えた人たちは、今年も靖国の桜の下で祖国の春を見ているだろうか。












ラベル:勇気 靖国
posted by shuuin at 18:48| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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