2007年03月31日

過去の歴史


救助された「武蔵」の乗員はどうなったか?

駆逐艦「濱風」「清霜」によって25日13:53に、コロンに入港。

マニラ湾外に、傷ついて自力で引き返した重巡「妙高」がたまたま泊まっているの見つけて、被服などをすこし貰ったとか・・・

重油の海で泳いだら、脱ぎ捨てるしかないですよね。
「濱風」の甲板で、裸足で太陽に照らされると熱いので、みんなで日陰の側に移る。小さな駆逐艦でそれをやったら艦が傾いてしまって危険です。とうとう最後には駆逐艦長の厳重注意でやっと収まったとか。
海の男たちの子供みたいな、でも笑えないエピソードですね。

マニラに千数百人が上陸したら、軍機のこともさりながら、宿舎も大変ですね。
で、負傷兵だけマニラ病院に収容して、残りはコレヒドール島にあがれと命令されます。

このことについても、戦後、「武蔵」が沈んだことを隠すためにひどいことをしたなどといわれてます。
当人たちは、別に冷たいあしらいともなんとも思ってなかったようです。

敗戦後の一時期は、手のひら返しに、軍を非難するのが流行りました。
軍に関することは、すべて非難攻撃することが正しいとされてた時期があったのです。

きたない表現ですが、ミソもクソもいっしょにして、とにかく日本軍が悪い。悪いことは全部軍のせいにする、とかね。
真実を知ってる人や、心ある人は口をつぐむしかなかったことも多かった。
そのことが、いまごろになって歴史問題だ、教科書問題だに尾を引いてることも多々あります・・・・・

ちょっと、わき道にそれてしまいましたが、話をもとに戻します。

あの難攻不落のコレヒドール攻略は、『昭和史の天皇』に詳しいですが、陥落させてからはそのまま空っぽだったみたいです。

ですから「武蔵」の生き残りは、加藤副長のもとで加藤部隊として、何もすることがなかったそうです。しばしの休憩?
それで毎日、シブヤン海戦の戦訓を検討しあったのだそうです。
口々にでた敵機来襲の時間やなにかの証言を、加藤大佐がメモしていた、と。


「濱風」の乗組員は乗組員で、26日13:53にコレヒドール島に揚陸するまで、気の休まるときはなかったそうです。
24日の朝から、ずっとだったんでしょうね。


ところで沖縄戦でのことが昨日今日報道されてますね。
沖縄の戦いがどんなものだったか、若い人たちはほとんど知らないでしょうね。
その詳細を知るには、『昭和史の天皇』の沖縄の章を読まれるといいですね。
イデオロギーとか、左右の思想とかに関係のない、ありのままの史実をまず読まれることです。そこから自分で考えればいい。

過去の昭和史を捨ててきたから、いま様々な問題が起きて困惑してるわけです。

そのつどきちっと自信を持って反論したり、説明するだけの知識を持っておかないと、はなしになりませんから。





posted by shuuin at 19:52| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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