2007年04月13日

作戦計画

『昭和史の天皇』にもどって、読んでいたら、次のような文章にであった。

 >「だいたい作戦計画というものは、やったことのある人ならだ れしも経験することなんですが、はじめのうちは、自信もなく無 理だなあと思いながら手がけていたものが、計画がだんだん進む につれて、なんだか成功するような気持ちになってくるものなん です。そのうち確信になり、はては既定計画の修正をかたくなに 拒み、それを他人が検討することさえ、許さないようになりがち のものなんです」

うーん、あるある、まったくそのとうりだ、と頷きました。
これって現代でも、政治家や官僚たちはもとより会社でも、しょっちゅうあるのでは?

思い込みもこれですか?個人でも、恋の計画とかで(そんなものがあるかないか、とんと知りませんが)、やってませんかネ。

もしかして、ストーカーやその他の犯罪者も・・・・・
いや不謹慎な想像はおいといて、話を戻します。

これは、第十四方面軍作戦参謀だった田中少佐の言葉です。

14方面軍は、あのフィリピンで山下奉文司令長官が率いていました。
と、国民は記憶するのですが、その山下大将、田中少佐がマニラに着任したのがなんと19年10月6日だったのです。

すでに、9月21、22日にマニラは本格的空襲を受けています。
米軍のレイテ上陸まで何週間もなかったわけですね。
しかも、参謀長武藤章中将がスマトラから着任したのが10月20日の夜になります。
「わたしは、当時、レイテ島がどこにあるのか、その位置さえ知らなかった」これは、武藤中将の遺稿のなかの一節です。


はじめの、田中少佐の言葉は、こんな言葉の後に続くものでした。

 >「だからといって、地図の上で太い青線を引いて、それで強固 な防衛線ができたと考えた総軍参謀がいたとしたら、云々」
  (南方総軍は、方面軍の上にありました)

ま、上のほうの図面上の計画と、現場で実地に実行する側が抱える困難。これは計画と実践に宿命的についてまわるものかもしれません。まして、実践するのが実戦?ともなれば、洒落や冗談ですまない。生死にかかわるし、時には国の命運にもかかわるかもしれない・・・・・

いろいろ考えさせられますね。それにしても、知れば知るほど興趣が尽きません。
「日本人は歴史を知らない」と、他国から謗りや嘲笑を浴びせられてますが、知らないことを見越して付け込まれてることがたくさんあります。
この場合、歴史とは大東亜戦争とか太平洋戦争の時代をさしています。


ほんとうは日本の国民が、ひとりひとり昭和の歴史をもっと知ってほしいです。それを願ってささやかなブログ日記を書いています。










ラベル:作戦 計画 マニラ
posted by shuuin at 19:27| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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