2007年04月20日

偵察機を射出

「大和」と「長門」が、そっぽを向いて走るはめに陥ったことを、「大和」の艦橋にいた宇垣纏中将は、こういってます。
「きわめて不運だった」

この宇垣中将の、レイテ戦の回想を読んでみたいと思うけれど、中将は終戦の日に沖縄に、特攻機を飛ばして自決してしまいましたから、それはかなわぬ夢。
畢竟、後の栗田司令部のあれこれは、小柳参謀長や大谷参謀の言葉によるしかありません。

で、二戦艦が雷跡を見つけて回避したのが、07:54。
重巡たちに突撃を命じてから、わずか24分後のことでした。
「大和」はそれ以後、ついにこの敵の姿を目にすることは、なかったそうです。無論、追撃戦に加わろうとしたのですが、スコールや敵の展張した煙幕のせいで、目視できなかったといいます。
その戦況を見ようとして、栗田長官は偵察機を飛ばします。

偵察機を飛ばす、なるほどと読み流してしまいますが、これってまさに一種の特攻と同じですよね。
いったん飛び上がったら、帰れない。近くには基地もなければ、味方の母艦がいるわけではないでしょうしね。

非情の命令ですし、必死の偵察になります。100%の死を覚悟したかも知れません。

カタパルトから飛び出してすぐに『敵針路、南東』を報告、そのまま消息を絶ったそうです。
「大和」は、その方向に電探射撃を行います。

そして二機目の偵察機も飛ばします。実はこれが大和の持ってる最後の偵察機だったのですが、この機はすぐに消息を絶ったそうです。
実はこのときは、敵の艦載機や陸上からの攻撃機が、わんわん飛び回って、必死で戦艦「金剛」「榛名」はじめ4隻の重巡戦隊の進撃を食い止めようとしてる最中ですからね。無防備な偵察機では、ひとたまりもなかったでしょう・・・・・

そっぽに向いて反れなかったら、こんな必要もあるいはなかったかもしれませんね。違う戦いがあったのかも。

このあと、かの重大な決定がなされたのですが、そのこととも微妙に関係している気がします。あの、北に走らされたことが。

そして、実はこのとき上空からは、敷島隊の特攻機が突っ込んでいたのです。それがまさにこの戦場だった。

関行男大尉率いる最初の神風特攻隊です。






タグ:偵察 煙幕 特攻
posted by shuuin at 18:35| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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