2007年04月23日

謎の反転

戦史、戦記、あるいは体験談を読んだり聞いたりしているときに、いつもふと気にかかることがあります。それは、記録に残されることもなく、消えていった無名の将兵のことなのですが。
時には後まで、その出来事が心に残ったりすることもあります。

たとえば、たしかレイテの帰途だったかに、戦艦「大和」が急回頭したあおりで、随伴していた駆逐艦の甲板からあっというまに波にさらわれていった一乗組員がいた・・・・・・

レイテの沖で栗田艦隊が戦っているときも、そのレイテ島の地上では日本陸軍の第16師団が、次々上陸する米軍と戦っていたのです。
実は、10月20日に米軍が上陸してから、この16師団との連絡がいっさい取れなくなって、軍は困っていました。
つまり通信不能になっていたわけですが、これは米軍の艦砲射撃や爆撃もさることながら、20日の台風の被害が大きかったらしいとか。
様子が不明では、作戦がたてられませんから、マニラから参謀がレイテ島にわたります。
そのときの参謀が進む道すがら、道路脇にひとりまた一人と、電線を引っ張りながら死んでいる通信兵の遺体があった、と。

この今となっては無名の通信兵の一人一人は、弾の飛んでくる中で、勇敢に自分の本分をつくして戦っていたに違いありません。
それはもう命令どうこうのはなしではなくて、ただ自分の職責を果たす、通信兵としての誇りだけだったのでは・・・・・・

波にさらわれた水兵も、人知れず路傍に斃れた通信兵も、きちんと靖国神社に祀られているだろうか?ふと、あらぬ心配をしてしまいます。


ところで、レイテ湾口に迫って、サマール沖で敵の空母艦隊を追撃していた栗田艦隊は、突然戦闘を中止して反転します。
太平洋戦争史で、いや世界の海戦史上でも有名なあの「謎の反転」です。

09:10「逐次集まれ、大和、九時の位置ヤヒセ四了」発令。
位置は暗号だとか。参謀長の進言に即座に栗田長官が応じた、と。

「大和」が、戦場から遠ざかったために、様子が分からなかったのが原因だったようです。巡洋艦隊から適宜適切な戦況報告が来ないなどと参謀長がいう始末。でも、前方で懸命に敵艦隊と接触中の巡洋艦の方では、まさか、「大和」「長門」が反対に走って、はるか遠くにいるなんて思わないのでは?
電話機のつながりもわるかったとか。

とにかく、2時間の追撃で、各艦がかなり分散していたので集まるのにも、2時間かかったそうです。

一般に、陣形を組み替えたり隊伍を整えるときは、艦隊が敵に対して弱味を見せることになります。このときは、こちらが中止しても敵は攻撃の最中ですから、たいへんです。
「鳥海」「筑摩」「鈴谷」の重巡3隻が、自沈するに至ったのもこの間のことでした。

『ここで不思議なことが起こった。09:29、わたしは日本軍の攻撃をかわすことに専念していたが、艦橋ちかくの信号員の叫ぶのを聞いた。
「畜生、敵は逃げてゆく」
わたしは自分の目を信じることができなかった。しかし、事実はその通りだった。自分の脳裡に、この事実をしみこませることは困難だった。最善の場合でも、間もなくわたしは泳いでいることを予期していたからである・・・・・』

追われていた敵の司令官の言葉が、「謎の反転」の状況をいみじくも表している。
ほかでも、「ひやーっ、敵は引き返してゆくッ」と叫んだのが記録にありました。
オオ、ジーザスとか、オウマイゴッドとでも叫んだかな?

この歴史的な出来事は、もう少し検証しないといけないかもしれません。







タグ: 反転 無名
posted by shuuin at 16:57| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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