2007年06月17日

初年兵と二年兵

つい忘れてしまいがちですが、われわれは徴兵制度のない、幸せな国民です。考えてみれば、現在80歳以下の日本人は、軍隊経験はないことになります。
したがって、軍隊のことなど、なにがどうなのか漠然としかわからない。

で、たとえば盧溝橋事件を読んでいると、「シナ駐屯軍第一聯隊第三大隊第八中隊」がでて来ます。この部隊が事件に遭遇するわけです。まとめて日本軍でもいいけれど、歴史好きは歴史探偵?の楽しみがあるから、もっと細部も知りたくなります。

そもそも第三大隊が編成されたのは、実際には通州についてからだそうで、秋田聯隊第二中隊が第八中隊になります。
ほかに第七(青森)、第九(山形)があって、この歩兵3中隊で第三大隊が作られます。東北の3県から抽出して編成したわけですね。
ほかに機関銃中隊と、歩兵砲中隊がこれは混成でつくられて、5中隊で一個大隊が構成されるわけですね。

秋田聯隊の中で、シナ駐屯軍にと選抜されたのが、この中隊だったわけですが、その兵隊たちは初年兵と二年兵でした。

一般に初年兵は徴兵検査をとおって、正月に入営して新兵教育を受けるそうです。四月に検閲を受ける頃には、小銃射撃ができるようになって一人前。翌年、二年兵になって、二年間の勤務が済むと満期除隊。
つまり、日本の徴兵制による兵役期間は二年だったわけですね。

派遣されたのが、昭和11年5月ですから、初年兵も一応一人前になったばかり?
旧軍のこのシステムが、あとで翌年の盧溝橋事件に微妙にかかわってきますが・・・・・・

外地勤務になると、歩兵銃も新品になり、兵装も「一装」になるそうです。昭和の時代、子供でも「よそゆき」といって、外出着に着替える習慣がありましたが、兵隊さんもやはりお洒落?をした。
余談になりますが、北京には各国の外交官などもいるから、そんなところに馬匹はおけないと、軍馬は市内に置かなかったそうです。
ごく当たり前にしたのでしょうが、規律や礼儀、国の体面を大切にする日本人の心意気を感じてしまうのは、私だけですかね?

兵たちはみんな二十歳か二十一、なかには十九歳の志願兵も混じりますが、初めての外地勤務。それぞれに、わくわくするような気分であったようです。

新潟から船に乗って(当時、東北方面からシナに行くのは新潟港)、玄界灘にもまれて塘沽についた。
そこに出迎えた在留邦人の婦人会の歓迎ぶりに、いいところに来たなと感じたり、身の引き締まる思いで責任を感じた、とか。
若者らしい感性が読み取れますが、一方で在留邦人にしてみれば、もっと切実な思いがこめられていたでしょうね。


普通、初年兵教育は内地で行われるものだそうですが、今回は外地で。
でも、訓練は内地と同じように行われました。

                     (続く)





ラベル:徴兵 中隊 新兵
posted by shuuin at 15:16| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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