2007年07月14日

河川用砲艦?


いま台風4号が日本列島来襲中ですが、70年前の上海で中国軍が攻撃を開始した日も、台風の強風が吹いていたそうです。

黄浦江にいた軍艦「出雲」のことをちょっと調べていたら、面白いことがいくつか・・・・・

上海事変のときのどこにも、軍艦と記されていますが、戦艦とか巡洋艦といった艦種が書かれていません。

もともと「出雲」は大正年間に就役(1900年)した出雲型の一番艦、1万トンにもみたない軍艦でした。
1904年に始まったあの日露戦争には新鋭艦で、蔚山沖海戦、日本海海戦に参加、第一次大戦では遣米派遣艦隊の旗艦を勤めています。
で、1921年に一等巡洋艦に類別されますが、10年後の1931年には海防艦になっています。

ですから、上海事変の時には艦齢37年の老朽の海防艦。でも、れっきとした軍艦でした。

そしてこの「出雲」が、8月14日に中国魚雷艇に攻撃を受けていました。

先に中国軍は、上海の日本租界を爆撃したといいましたが、ちなみにこれは航空戦の最初でした。これも14日。

つまり蒋介石軍は、13日の集結の速かったことといい、戦闘開始と同時に陸海(河ですが)空の三軍で作戦行動をとったことといい、いかに周到に戦争準備されていたかを知ると、舌を巻かざるをえません。


ところで攻撃を受けた「出雲」ですが、ほかの河川用砲艦とともに、敵の魚雷艇を撃退したとありました。

揚子江には河川用砲艦が来ていたようですね。このときの艦名がわかりませんでしたが、終戦時に上海にいて中国軍に接収された砲艦「熱海」がこれかもしれません?
ちなみに「熱海」は「鳥江」と改名されて中国艦に・・・・・・


河川用砲艦「熱海」ですが、全長46M余、全幅7M弱、294トンの細長い艦。特徴は1,13Mという吃水の浅さですか。これならたいていの河川を遡行できそうです。1200馬力で、16ノット、小さいながら高角砲1基、機銃5基を積んでいます。乗員54名。

それでこの砲艦は歴とした軍艦なんですね。
前にこのブログのどこかで、駆逐艦は軍艦ではなかったと書いた覚えがありますが、潜水艦も同様です。これらはみな艦艇の部類、いってみれば、SHIPとBOATのちがいですか?

軍艦は艦首に菊の御紋章がついていました。艦艇にはそれがつかない。
したがって軍艦の艦長は大佐ですが、駆逐艦、潜水艦はたいてい少佐艦長です。ちなみに、昭和18年に軍令部の命を受けて、決死の訪独航をした伊8潜の艦長は内野大佐でしたが、これは役目柄の例外?

で、御紋章をつけた河川用砲艦の艦長は、艦長を歴任した大佐昇進目前の中佐でよいということになっていたようです。
ほかに給油艦、給炭艦、特設艦の艦長などに、大佐艦長が多いわけもこれでわかりますね。
つまり海軍では戦艦、巡洋艦、空母だけでなく、これら補給艦の格付けも高かったということになりますか。

東郷元帥の子息は、戦闘艦の指揮はとれなかったはずでしたが、たしか特設艦の大佐艦長だったと記憶しています。
孫の東郷中尉が「摩耶」で戦死したことは前に書きましたが、息子はどうだったのかと、前に調べたことを思い出しました。

大河川のある国の戦闘には、どこでもこのGUNBOAT(砲艦)が活躍したようですね。大河沿いの各都市の連絡通信とか、いわゆる奥地でのもろもろに・・・・・・

それにしても、出来事の枝葉の部分をたどってゆくときりがありません。歴史って、歴史好きにとってシャングリラなのかラビリンスなのか?

どなたか教えていただけませんか?



タグ:出雲 揚子江
posted by shuuin at 17:54| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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