2007年08月20日

戦後62年目の夏

まさに酷暑という言葉が、ぴったりの夏ですけれど、今年ほどテレビであの昭和の戦争が取り上げられたことは、最近ではなかったような気がします。

考えてみれば、去年の終戦記念日前後は、靖国神社の参拝問題一色でほかはかすんでいたのではなかったか?


とにかくさまざまな観点から、日本の戦後が終わってはいないという思いをあらためて深くしました。
それとともに、考えることの多さに頭の中だけで次々にあふれるものがありすぎると、筆ならぬキーボードに指が乗らないという悪い癖が始まります。かくて、空白の日記がしばらく続くはめになってしまいました。

今日は20日、あの八月では玉音放送を聞いてからまだたった五日しかたっていない日、でも人々は黙々と後片付けを始めていたのではなかったか。温和で節義のある日本人らしい国民性が、あのときほど自然に発露されたことはなかったかも知れない。
敗北を胸に畳み込みながらも、明日に向かって歩み始めた日本人。まだこのときは、これからやってくるアメリカ軍になにをされるかわからないという不安はすべての国民にあったのですが。


BSで、世界のドキュメンタリーをいくつか再放送していました。
その中の「マッカーサーが見た日本の降伏」というのみたときに、日本人って素晴らしいな、とあらためて往時の国民の姿に感動しました。
    
映像は、東京湾30キロ沖合いの戦艦ミズーリの艦上での、降伏文書調印の模様が主で、書物で知るさまざまな人物といっても軍人がほとんどですが、その実際の動作をみられる興趣はあります。家族の土産にするためにと、五本のペンで署名をするマッカーサーには、けれんみを感じましたが。

署名がすんだら、祝杯を挙げるためにさっさと引き揚げる連合軍首脳の態度には、外交官としての礼儀は欠如していたと感じましたが、降伏文書の調印などはあんなものなのかもれません。
シルクハットで正装した重光外相の姿が、かえって痛々しかった。大日本帝国の全権特使としての毅然としたたたずまい、署名欄を間違えてる公式文書を訂正させたのはさすがでした。

正式な登舷礼ではなかったみたいですが、一応水兵が敬礼して迎える間を義足の重光葵がステッキを頼りに歩を運ぶ姿に、あらためて朝鮮人のテロを思い出しました。
あれは確か第一次上海事変のとき、天長節の祝事を催してる日本軍の会場に、朝鮮人が仕掛けた爆弾事件でした。白川義則大将が亡くなり、重光は片脚を失ったのでした。


日本人が素晴らしいと感じたのは、ちょっと別のシーンでした。このドキュメントはフランスが製作したものでしたから、つけられてるナレーションにはおいおいそれはちょっと違うだろと思わせるものがあったのですが、背後に映っている終戦直後の東京の姿に驚きます。

この、調印式のあったのは昭和20年9月2日のことですから、瓦礫の街が写るのですが、その瓦礫がすでにまとめられて、東京の街はきれいに掃除されているように、すさんだ色など見せていないのです。
そこに行き交う人の、穏やかな表情やはにかんだような笑顔、質素でもきちっとした身なりなど。あれほどの被害を受けて、初めて敗北を喫した国民の姿としては驚嘆に値するほどの秩序と礼節が見て取れました。レンガの建物の壁を背に、もんぺ姿の若い女性が新聞を売っていましたが、活字に飢えていた往時の日本人が次々と求めてゆくのですが、その整然としていること。一人ずつが手に持った小銭を渡して流れるように、次から次に新聞を受け取ってゆく・・・・・
カメラはスナップのように、さまざまな光景を切ったのでしょうが、すでに都電が走っていました。そして、国鉄の車掌が制服制帽で出発の敬礼をしています。いつものように、・・・・・・・
敗戦何日か後でも、動かせるもの復旧できるものはすぐに元に戻してゆく。日本人の不屈の魂と底力を、あらためて見る思いがしました。

国民の教養の力、民度というものをあらためて考えさせられました。



posted by shuuin at 16:15| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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