2007年08月22日

硫黄島とB29

太平洋戦争末期のアメリカの爆撃機B29の動きを、逐一探知していたのは「陸軍中央通信調査部」だったと前にふれましたが、ちょっと通信情報の面がどうであったのか書いてみたくなりました。

現代の電子機器的な通信技術の発達した時代から見ると、もしかしたら歯牙にもかけずに見落としてしまいそうですが、なかなか興味深いものがあります。一言で言えばデジタルと、アナログの違いですか。
それだけに人間的なというか、ヒューマンファクターが占める領域が大きいというか、人間の技術、通信士の熟練度がものをいう時代だったような気がします。

で、上記の名前が防諜上の隠れ蓑で、本当は「大本営特殊情報部」。
たしかイギリスのMI5とかの本部は、民間のビルに民間会社名で運営されていたようですが、日本の場合はいかにも日本らしいというか、あまり隠れてるとも思えませんが?
たとえば、茨城県警の中に机があるけれど、正体は警視庁捜査1課の刑事だとでもいってるような?


終戦当時、この通信調査部には臨時雇用を含めて500人ほどいたといいます。理数系の学生も動員されて、全国から集められた二世が80人ほどいたそうです。ハワイなどにいた日系二世は、442部隊でヨーロッパ戦線で戦ったことは、戦後公開された“GO FOR BROKE”という映画で日本人は知りましたが、日本にもどっていた二世の人たちもいましたからね。とても協力的だったといわれています。米語を傍聴解読するのには、適任だったでしょうね。

本部は市谷台で、傍受所は田無、千葉の館山、白浜、三浦半島の三崎、兵庫県の小野など。一般情報も聞くけれども、暗号解読が主だったといいます。重要通信は当然暗号でしょうからね。でも時に緊急電は平文だったりして、通信傍受技術は地味なようですけどなかなか重要です。時には作戦や、艦船の運命を決めたり、もっと大きなものの死命を制すこともありそうですから。

ところでこの「通信」に関してはもともと陸海軍で、役割が分かれていたようです。通信情報蒐集は太平洋に基地と艦船持っている海軍の役目、陸軍の重点は暗号解読ということに。戦局とともに海軍が手足をもがれてゆくにつれて、陸軍が情報収集をせざるをえなくなったのが19年に入ってからとか。

アメリカの暗号はかなりむずかしかったそうですが、まだらにわかるだけでも、大まかな解読はできたといいます。
通信は作戦の根幹だといいますが、電波の複雑なやり取りを追跡することで、作戦がどこで動いているかがわかるそうです。
海上の艦船の出す電波を図上に記入してゆくと、蛇が獲物を呑み込んだように、ふくれたりしぼんだりして動いてくる、という表現に出会いましたが、目に浮かぶようによく分かりますね。
偽電をうったり、無線封鎖をしても、大きな作戦行動中は通信皆無というわけにはいかないでしょうしね。
米軍の、比島、沖縄上陸予定はこの方法で割り出したのだそうです。
やってくることがわかっても、心の準備をすることぐらいしかできなかったかもしれませんが・・・・・・・

B29が本土に来はじめたのは、19年の秋からだったといいます。
その頃は、基地とB29の交信は無線電話でナマでやっていたとか。その米兵のスラングがわからないから、二世に頼んだというわけでした。

サイパン島で日本軍が玉砕したのは昭和19年6月でしたが、このサイパン、テニアン、グアムなどのマリアナ諸島が、その後の米軍の日本本土爆撃の基地として使われたのでした。
このサイパン基地のコールサインの解読に、特攻機の犠牲が間接的に役立っていたなんて、ほとんどだれも知らないことかもしれません。
というのは、サイパンに大きな基地が作られるだろうと予想して、サイパンから出る電波に聞き耳を立てていたそうです。
「NPN5PPP」という変な信号、そしてしばらくしてまたNPN5のついた信号が・・・・・・
ふと海軍に問い合わせたら、まさにその電波の発信時刻に海軍特攻機がサイパンに攻撃をかけたが、全機帰還せずとの返事がきたといいます。
NPN5がサイパンの航空基地指令の記号とわかった、PPPは空襲警報発令。この後は同周波数に固定して、ハワイ方面からの輸送などの動きまで全部わかったそうです。

そのうちに、15V425、16V425・・・などがやたらに増えたそうですが、これがB29だったわけです。
15ヴィクター425が、第425戦隊15番機というわけ。
空襲して全弾投下して2分後には、必ず戦果報告を入れるそうですが、その内容も全部解読していたようです。

そんな具合にして、今日は何号機と何号機がいま飛び立ったまでは分かっていたわけですが、それだけでもレーダー基地に知らせれば気構えが違うから捕捉し易かったようです。

日本軍の迎撃が成功して敵が被害を受けると、ナマ文のモールスを発したそうです。「エンジン出火」・・・・「バンホーよこせ」。
バンホーとはB24改の救助用飛行艇だったとか。つまり、B29一機撃墜、調査局リストからその番号機は消えるわけです。

終戦まぎわには日本にやってくるB29の一覧表は600機をこえたと言います。

この稿のタイトルの硫黄島に、たどりつきませんでした。続きはまた明日書くことに致します。




posted by shuuin at 14:21| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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