2009年04月21日

忘れられた戦場


千島列島・樺太など、北海道の北がどうなっていたのか?

そのことを知らなければ、北方領土問題もなんだか他人事で済んでしまうかも知れません。
あるいは、聞き流して忘れられるのかも?

戦時中も、北が戦場になったのは、アリューシャン列島のアッツ・キスカ両島の戦いのあとは、終戦直前の樺太国境での戦闘だけでした。
流氷や濃霧に閉ざされ凍土地帯の広がる北の厳しい自然が、軍事行動をも阻んだのかも知れません。その意味では、忘れられた戦場といってもいいでしょうか。国民の目は、どうしても激戦の続く南方に向けられたでしょうから。


そしてあの八月に、樺太で2000人からの犠牲者が出ましたが、そのほとんどが終戦後に上陸したソ連軍によるものだったのです。

懸案のまま60余年経った北の四島も、終戦後になってから不法に占領されたわけでした。

「ボクシングにたとえれば、言わば試合終了のゴングが鳴ったあとで、グローブをはずしているところをボコボコに殴られたようなもんだ」
そう表現した当事者がおりました。

いわばどさくさまぎれに強奪されたという事実を、当時の日本人は胸に噛みしめて我慢したのですね。
巨大な暴漢の前には、手も足も出ない弱者の悲哀をいだきながら・・・・
その代わりに、ロシア人に対する不信感だけが残りました。


先に厳しい自然と言いましたが、温暖化の進んだ現在とはかなり様相が違うようですね。
グーグルマップが、リアルタイムなのかどうか良く知りませんが、4月の初めに衛星写真画像を見て驚きました。
いたるところ緑が多くて、高緯度でも雪や氷が少な過ぎるような・・・・
ツンドラ地帯とか、永久凍土というものは、もはや消えてしまったのでしょうか。北極海の氷が消えると言うのも、悲観的予測の域を超えてもはや現実になってるのかもしれない?

昭和の北方の地理的条件を考える場合、現在とはまったく違うものを想定しないといけないでしょうね。


北方領土で問題となっているのは四島だけなのですが、なぜ樺太から話を始めようとしたかといいますと、日本本土でソ連と国境を接する唯一の場所ということ。昭和20年8月に起こったことは、先ず樺太から始まったからです。

その樺太に上陸しようとして、なぜこんなに時間がかかっているのか。
実は、樺太のことを書こうとして、困ったことに気づきました。
どんな場所でも少し詳しくそこを説明するには、地名が必要になります。例えば、

 敷香から、気屯、古屯を経て国境まで中央道路を・・・・・

と書いたとします。これを読んだ人は何のことやら分からず、それこそキョトンとしてしまいます。
現在、旧樺太の地図などないわけですから、調べようもありませんしね。

こんなときに、書物なら略図が入ります。略図さえあれば・・・・・


白状しますと、見よう見まねでブログの真似事をしておりますが、器械のことはちんぷんかんぷん。
もし、自分で書いた略図でもブログに取り込めたら、などと悩んでおります。
こんなブログでも読んでくださる方の中に、どなたか教えてくださる奇特な方はいらっしゃいませんでしょうか。









posted by shuuin at 16:08| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。