2009年04月14日

樺太

今、サハリンと呼ばれている樺太をはじめ、歯舞、色丹、国後、択捉の北方四島を語ろうとすると、やはり大雑把にでも北太平洋の地図を思い浮かべる必要がありますね。

北東のアラスカからベーリング海に延びているのが、アリューシャン列島。
このアラスカは1867年に、アメリカがロシアから買収したところでしたよね。江戸で篤姫の激動の年に、アメリカはこんなお得な買い物をしていたわけですかね。
ベーリング海を挟んでアラスカの反対側にカムチャッカ半島。その南端から根室まで続くのが千島列島ですね。

なんだか、小学生に地理の説明をしてるようで気が引けるのですが、自分の頭の整理をしているのだろうぐらいに、読み飛ばしてください。

根室の先に突き出したノシャップ岬に続くのが、歯舞諸島ですね。一口に北方四島と云いますが、歯舞は水晶島、塩津島、多楽島など小さな島の総称。その先に、色丹島があります。
根室と網走の境に突き出しているのが知床岬。歌の文句にもある国後島が、二つの岬に抱かれるようにして根室沖に横たわります。

知床半島の付け根からオホーツク海にそって、北海道で一番長い海岸線?が、北端の宗谷岬まで続きますね。
途中に有名な網走がありますが、網走の名が人口に膾炙したのは多分あの映画から。昭和30年代後半から40年代にかけて、高倉健主演で公開された『網走番外地』シリーズ。氷祭りや流氷まつりはあとからだったのでは?なんて、またまた昭和の思い出脱線・・・・・

ところで真面目な話にもどって、稚内だか宗谷で「日本最北端の地点」という標示をみましたが、なんで?そうなるのかいつも気になっていました。これは、公的にどこかが認めているのかどうか。
択捉島のほうが北ではないのか?
観光のためだとしても、外国人の目にも触れるわけだからまずいのではないでしょうか。自ら、北方領土を諦めてるように見えかねません。

択捉島は、北方四島の中でも最大の島です。
昭和16年12月、真珠湾に出撃する山本五十六提督の聨合艦隊の艨艟が秘かに終結した単冠湾はこの島でしたよね。

そして宗谷海峡のすぐ北に、樺太があります。
樺太とロシアの沿海州の間の海峡を発見したのが、間宮林蔵でした。
あの伊能忠敬に学んだ探検家のことと、間宮海峡の名は戦後もしばらくは「小学生でも知っている」類のことでしたが、今はどうなのでしょうか?

その昔、樺太は幕府の直轄地だったことも、今は忘れ去られてしまっているかも知れません。

サハリンは何世紀も前から、ロシアの領土だったと思っている人が多いのではないでしょうか。
一般のロシア人たちも、今ではそう思っている人間が多いのではないか、そんな気がします。
等閑視していると、歴史はとんでもない方向に解釈されてしまいかねませんからね。

次回には、昭和20年の樺太に上陸してみたいと、思います。












昭和20年8月の樺太から、話を始めるとしたら
posted by shuuin at 17:07| | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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