2007年02月09日

歴史の必然

「戦争は歴史の必然だったかも」という考えがよぎった。

朝、洗顔していて脈絡もなしに頭に浮かんだ。
とくに、戦争のことを考えていたわけでもない。
私の脳はときどき思いがけないことをする?

歴史上に起こった出来事は、すべて必然なのかもしれない。
いや、歴史の偶然というのもあるか?

『昭和史の天皇』もやっと十二巻目にはいった。
あの有名な<捷一号作戦>についての巻である。
知らない人でも、レイテ海戦とか栗田艦隊あるいは神風特別攻撃隊のことを耳にしたことはあるはずだ。
それも知らなければ、もはやもぐりかガイジンだろう。
戦艦「大和」が主砲をはなって戦ったのも、この時だ。
僚艦「武蔵」が阿修羅のごとく戦って沈んだ作戦である。

レイテ湾にマッカーサー船団が殺到した翌日、作戦下令。

この捷一号作戦発動の事態に直面して、一番深刻だったのは海軍航空隊であったという。なぜなら直前の台湾沖航空戦で、力及ばずに戦力消耗して基地航空隊を喪っている。その上、戦果誤認いや大誤認とでもいうべきまちがいをおかしてしまった。
大戦果が虚報であったことで、統帥の判断が狂ってしまう。
その「責任感がひしひしと海軍航空隊全将兵の胸をつつんだのである」。

 さきに、この作戦は”特攻的”と書いたが、海軍航空隊が
 さらに一歩進み出て、はっきり”特攻”に踏み切ったのは、
 この果たし得なかった責任感からであった。特攻的という
 のは、まだ九死に一生の期待が残っているが、特攻となれ
 ば、身を十死に投ずるものである。これを指揮するものの
 立場からいえば、”統帥の外道”である。それを上も下も
 問わず、彼らが敢えて断行したのは、この痛切な責任感以
 外のなにものでもないだろう。

これを後世、無謀だのバカだのと非難するのは易い。
ただ、「負いたる責任感」に思いを致してから語るべきではないだろうか。
戦争が悪であるのは、わかりきっている。
ただその一言で切って捨てたら歴史はわからずじまいである。

物事は結果がすべてであるといえるのか?
たとえば、算を乱して無様に逃げ惑って全滅しても、死力を尽くしてなお力およばず全滅しても、全滅という結果は同じである。
はたしてそうか?まったくおなじなのか?

「いかに戦ったか」それが大事ではないのか。
勝負事やスポーツで、勝ち負けだけがすべてなのか?
実はほんとうは戦い方こそが、大切なはずだ。
戦争とスポーツが同じだといっているのではない。
○か×かの例にあげただけだ。


勝った、負けたは外国人にまかせておけばよい。
ただ日本人の末裔ならば、外国人がいう歴史しか知らないであれこれいわれたり、それにこたえ返しているだけでは、あまりに情けなくはないか。

日本人の血を意識するならば、自分たちのルーツのすぐそこにあった歴史をもっともっと知る必要があるのではないか。なにかこの頃しきりにそんな気がする。
posted by shuuin at 19:07| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/33293463

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。