2007年02月16日

自己犠牲ということ

人命救助のために、殉職された「交番のお巡りさん」がいらした。多くの日本人の祈りも虚しく、訃報が伝えられた。

誠実な人柄のにじむ顔をみて、思わず涙がこみ上げてしまった。
「人生はまさに不条理の一語につきる」のか。
天も時に非情である。
人知れずご冥福を祈るほかない。

中学時代の恩師が、口癖にいってた言葉を思い出した。
「人その友のために命を捨てる。これ以上大いなる愛は無し」

先生は口癖だから、なにかの合いの手かそれこそ呪文のように連発された(と、わたしは記憶してる)。
子供心にあれこれ真剣に考えたものだった。

子供たちになにを教えようとされたのか、その真意をうかがおうにも、恩師もすでに鬼籍に入られた。
年月もまた非情である。
またそれが有名な言葉であることを、だいぶ後になって知った。
出典がわかったのだが、ちょっと失念してでてこない。
時間というものは、人の脳にも非情である。

自己犠牲という言葉とともに、すぐに脳裡に浮かぶことがもう一つある。
さきの太平洋戦争のときの、マリアナ沖海戦でのできごとである。
母艦から発進した攻撃機のしんがりの一機が、突然反転してまっすぐ海に突っ込んだ。艦橋はもとより見送ってる全将兵が何事が起こったかと喫驚した。
そして次の瞬間、自分たちの艦が潜水艦から魚雷攻撃を受けていることがわかった。味方の一機がなにをしたかを悟ったのだ。

一番最後に飛び立った操縦士は、上空から自分の艦にむかう雷跡を見つけてしまったのだ。無電を打っても間に合わない、その刹那にみずから魚雷に向かって突っ込んだのだ。

もっと若いときに、果たして自分がその立場だったらとっさの瞬間に躊躇なくそれができるか?と自問したことがあった。
「自己犠牲」の言葉とともに、必ず思い浮かべるエピソードである。


ラベル:自己犠牲
posted by shuuin at 18:31| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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