2007年03月21日

艦長の遺書

沈没の一時間ほど前に、猪口艦長が遺書をしたためるのを、加藤副長は見ていた。

すでに、あたりは薄暗く、手帳にボールペンの走り書きであった、と。

当時、ボールペンはハイカラな筆記具だが、戦前に特務艦の艦長時代に、アメリカに行ったときに買い求めたものだったそうである。

「副長、これを聯合艦隊司令長官に渡してくれ」
そういってその手帳を差し出した。
艦長が、海軍の伝統に従うつもりだ、と察した副長は、
「私としては艦長のお供をさせていただいた方がいいです」


猪口艦長は、副長に生きて乗員のめんどうをみてくれと頼んでいる。戦没者のことも忘れずに考えてやってくれ、と。

「フネと運命をともにするのは、艦長だけでたくさんだ。総員を集めて、退艦を命令せい」


昭和の戦争でも多くの艦長たちが、艦と運命をともにしている。
このことについても、若い人から「陛下の艦」だから責任云々という発言を聞いて、絶句したことがある。

もしそうならば、沈没に際して退艦した艦長はどうなのか?退艦者もかなりいる。
その選択は全く本人の意思であったはずである。

それとはべつに、艦と運命をともにするという行為は、必ずしも日本人だけのものではなかったような記憶がある。

従容として死を選ぶのは武人の本懐である、という滅びの美学が確かに存在した時代である。
同じ死ぬならば、尊厳ある死を望むの人は今でもいるはずだ。

戦国時代の武将たちが、とくに一城の主が「城を枕に討ち死にする」という話は、かって日本人にとってはごく当然のこととして受け入れられていた。
いろいろな書物、雑誌だけではなく、講談や浪曲で耳にして、芝居や映画で目にしていた。

「軍艦の艦長は神である」というのは、帆船時代の英国海軍の言葉だが、一艦の艦長はいわば一城のあるじであった・・・

ふっと、軍艦行進曲の文句がよみがえった。このマーチは世界的にも名曲の一つとか? その一節にこうある。

「浮かべるその城、日の本に・・・」

                       (つづく)










タグ:遺書
posted by shuuin at 17:43| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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