2007年03月28日

同期の桜

10月30日、セブ基地。

米軍のレイテ島タクロバン上陸後10日目。
陸では守備隊が奮戦してるときである。

レイテ湾に群がる敵艦船をねらって、つぎつぎに特攻隊が出撃していた。
猪口力平大佐は、その指揮のためマニラから、セブ島の前線基地に来ていたのである。

その日の夕方、6機の戦闘機が到着したのを、ピスト(指揮所)から見ていた。
整列して隊長に申告してる者をみたら、それが大佐の甥であった、と。
つまり彼は、「武蔵」艦長猪口敏平大佐の長男、智中尉である。

懐かしい叔父の姿を見つけて、そばに来て報告したという。

「岩国から今日クラーク(飛行場)に着いたら、すぐにセブに進出しろといわれて、いま着いたところなんです」

海兵72期、卒業して大半が航空隊に、促成修業で半年で少尉任官、この10月に進級して中尉。第二航空艦隊所属の戦闘百六十五飛行隊。

そんな話をしたあとで、
「おやじは、どうなったかな」
と、ぽつりといったそうである。
「そりゃ、艦と運命をともにしたろうよ」
「そうかな」と、やや力を落とした声でいった、と。

そういえば、「武蔵」が沈んだシブヤン海の上を、彼は今日飛んできたはずだ、と叔父はそのとき思ったそうだ。

暗くなったので、宿舎につれて帰ったが、どうせ二人とも長くないいのち・・・
だが、叔父は甥に特攻隊になれともなるなとも、いわなかったそうである。
特攻隊は志願が建前、こんなときにそれに触れるのはよくないと思ったからである。

二人は何も触れていないようだが、この日は兄であり父である猪口艦長の初七日にあたっている。


数日後、タクロバン飛行場に敵機が80機ほど集まっているとの報告が入る。

11月3日未明を期して、百六十五飛行隊の12機出撃決定。

猪口大佐は暗いうちからピストに出ていたが、少し遅れて智中尉がやって来たという。急いで飛行服に着かえると、始動している戦闘機にむかって走った。まもなく、機は暗闇の中を次々に離陸して行く・・・

出発したはずの、分隊下士官が帰ってきて報告した。
「分隊士が、『俺が行くから替われ』といわれましたので、私は残りました」

この分隊士官こそ、智中尉である。
叔父の力平大佐は、このとき初めて、この日の出撃メンバーに智中尉が入ってなかったことを知ったという。

これは映画のシナリオではない。紛れもない歴史のひとこまなのである。

運命のドラマはまだ終わらない。

敵の防御放火の曳光弾があがると、暗ければセブから見えたという。それを見て、奇襲がうまくいったんだなと思ったが・・・

山を越えたとたん、待ち伏せの対空砲火で全滅したと、血まみれで帰った一機の報告で判明する。

「兄の死後、ちょうど十日目、父の死に場所にそう遠くないところで、彼は二十歳の生涯を閉じたことになります」

おやじの弔い合戦だと思っただろうか、などと猪口中尉の胸中を忖度することなどとてもできない。

その出撃の朝、叔父甥は言葉を交わすこともなかったのだろうと思う。私事は半句もなし、であったのだろう。


この猪口智中尉と、あの「摩耶」で死んだ東郷良平中尉が、同じ海兵72期であることに気がついた。


二人は靖国の桜の同じ一枝に、咲いているのかもしれない・・・
ふっと、そんなことを思った。

今年は靖国神社にいって、花を見上げてみようかな。





















タグ:戦闘機
posted by shuuin at 19:18| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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