2007年03月30日

不条理な死

カミユを引き合いにだすまでもなく、人間の死は不条理なものですね。

必死の戦場では、その不条理さはなおさらであったかもしれない。

運命の岐れめは、誰にもわかりはしないですから。


あの緒戦に潜水艦の奇襲をうけて、一弾も撃つことなく轟沈した悲運の重巡「摩耶」。
当たりどころが悪くて、爆発してあっというまに沈んだのですが、そのわりに救出された生存者も数百人いました。

約300とも400とも記録によって違いますが、4本も被雷して瞬時に沈没した状況下では、かなりの数では?
ちなみに「摩耶」の定員は996名。

前に書いた東郷元帥の孫の東郷中尉は、戦闘部署が中甲板の前部でした。その場所の下で爆発したわけですね。

「『愛宕』雷撃された!」で、「戦闘配置につけッ」がかかったとき、上甲板から駆け下りたといいます。
私室から上甲板に駆け上がる主計長の大尉が、ラッタルですれ違った、と。
「オス!」「オス!」

戦場の男たちの会話に、これ以上のものはないかも・・・
海軍兵学校の挨拶がこれですね。

それ以後東郷中尉の姿を見たものはなかった、とこれは生き残った海兵の後輩が語っています。
戦闘部署が一発目の爆発したところで、即死だったであろう、と。

助かった者が、比較的多かったのは、おそらく戦闘配置で甲板の砲座などにあがっていたからでしょうね。そのまま、海に放り出されたわけ・・・・・

もっとも、機関や機械の担当で下にいた人たちは、犠牲になりました。

秒単位で艦が傾く中でも、「摩耶」艦長大江賢治大佐は「総員退去」を下令しています。
そして、自らは艦と運命をともにしました。

その朝七時ごろ、スクリューをゆっくり空転させながら、真紅の軍艦旗をはためかせながら、「摩耶」は海に消えたそうです。

軍艦旗を下ろすまもない、倉卒のことですね。
フネに命があるのなら、重巡「摩耶」にとっても不条理な死かも。


ともかく、あたりの艦が救助したものは全員、「武蔵」に移されました。
そしてその「武蔵」沈没の前に、「島風」に移乗しましたがその後どうなったか?
このときの移乗者はある書物には607名とあります。「武蔵」の負傷者も含まれているのかもしれません。

とにかく、その後「島風」は艦隊復帰を命じられたから、かれらはそのままレイテ湾口近くまでいって、海戦に参加してるはずですね。

幸い「島風」は、その後「大和」らとともに無事ブルネイに帰投しています。

サマール沖海戦と呼ばれるその戦いでは、味方の救助を果たした駆逐艦までが沈められて、文字どうりもろともに海に消えて生存者なしのフネもありました。

さまざまな運命、死はやはりどこまでも不条理なもの、なのかも知れません。


ところで、ふと見たウイキペディアの「摩耶」の項に、一分で轟沈し、生存者は2名、とありますが、一体どういうことなのですかね。

まあ、辞書といいながらも、いい加減な記述に再三出くわしていますけれど・・・・・








ラベル:不条理
posted by shuuin at 18:32| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。