2007年04月27日

疲れた脳で


昭和史を読むことから、レイテ戦に深入りしてしまったわけですが、レイテといえばフィリピンの島の一つです。実はこの比島での戦いが、太平洋戦争の天王山であるといわれていました。
くしくも、米軍側のマッカーサー司令長官も、ここでの戦いをそうみなしていました。まさか、マッカーサーは天王山などとはいわないでしょうが、日本側と同じようにここで勝負が決まると考えたわけです。

ところで、マッカーサーがフィリピンに特別にこだわったのには、個人的な理由があったのですが、あまり知られていないようですね。日米開戦で、ルーズベルトに呼び戻されて司令長官になるまでは、彼はマニラホテルに住んで比島の元帥として、いってみれば植民地総督的に君臨していました。実はフィリピンは長くスペインの植民地だったのが、1898年の米西戦争でアメリカの植民地に代わっていたわけです。
マッカーサーは、父親の代からフィリピンに多くの利権、つまり私有財産を持っていたといいます。

比島を奪還することは、自分の財産を取り戻すことでもあったのですが、そう考えると有名な言葉も意味深く感じられますか?

 I shall return.

マッカーサーの執念と、彼我にいわれていたものの正体の一部は、案外こんなところにあったかもしれません。


それはともかく、ここで敗れたら終わりであるという認識があったればこそ、日本軍はとにもかくにも陸海空総力を挙げて、すべてをつぎ込んで戦おうとしたわけです。

米軍側の史料や、その他をつきあわせればつきあわせるほど、あのときの栗田艦隊の反転が、非常に重要な意味をはらんでいたということがわかってきました。
一提督の判断云々というだけではない、歴史のターニングポイントといってもよいほどの出来事だったのだ、そう思えてきました。

戦後、栗田健男が、海軍省記者クラブの伊藤正徳の質問にだけ答えています。
「なにしろ命令なのだから、その命令を守らなかったのは、軍人として悪かったというほかはない」
「考えて見ると、非常に疲れている頭で判断したのだから、疲れた判断ということになろう」
三日三晩ほとんど眠らなかったあとだから、身体のほうも脳のほうも駄目になっていただろう、ともいっています。

疲れて闘志を失ったのかもしれないし、あるいはレイテ湾の輸送船などに向かう気は、最初からなかったのかもしれない、そんなことをふと考えました。

帰途のシブヤン海のことと、帰りの燃料のことを心配していた、といいますから、同じ日々に陸で、あるいは空で戦っていた多くの将兵たちとは、明らかに違っていたようですね。




posted by shuuin at 17:41| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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