2007年05月04日

歴史のif

栗田艦隊の反転について、マッカーサーの側近でその伝記を著した人物(たしか情報畑の中将だったか)が、どこかに書いています。

戦後、小柳参謀長がいくら論理的に言い訳しても、あれは間違いであった、と。
つまり、栗田中将の判断は司令官として誤りであった、と明言しています。
そう考える人は、米軍側には少なくなかったようです。
逆に、正しい判断と評価したものは無かった、と。

昭和19年10月25日のこのレイテ海戦が、『第二次大戦中のアメリカ軍の最大の危機』であった、などとは日本側は夢にも知らなかったわけです。

よく歴史にif はないといわれます。
私自身、そういう仮定で云々する類のことは嫌いなのですが、栗田艦隊が命令にしたがって突入していたら、現出したであろうことを知ってみると、驚いて言葉にならなくなります。


レイテ湾に突入しなかったばっかりに、一万何千の将兵が助かったからと、栗田健男を庇護する声もあります。でも、突入していたら、直後にレイテ島での八万近い戦死者をだすことは避けられたでしょうね。

それどころか、早くに停戦が成立して(無論、日本の敗戦は決まりですが)、日米双方ともその後の多大の犠牲は避けられた可能性が高かったと思われます。

硫黄島戦も、沖縄戦も、原爆投下もなかったかもしれない。

そう考えると、一提督の判断に過ぎないけれど、恐ろしいほど重大な歴史的反転だった・・・・・
歴史とは極めて個人のものだ、という思いがあらためてよぎります。

無謀な、やけくそに近いといわれる「捷一号作戦」そのものが、場合の作戦としては間違ってはいなかったのでは?

戦争は多分に水物である、戦機は一瞬にして去る、そんな言葉が次々浮かんできます。




ラベル:危機 突入 停戦 提督
posted by shuuin at 14:26| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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