2007年05月24日

忖度すること

昨日は触れることができなかった、もう一つの特攻隊の後日談。

海軍の神風特別攻撃隊、関行男大尉にかかわる話なのです。

関大尉は前に触れたレイテ海戦のときの、敷島隊の隊長として有名です。いわば最初の特攻隊で、そのまた一番隊長ですから、いろいろと語り草にもなりますね。

あの海軍特別攻撃隊の隊員たちは、ほとんど全員がいわゆる予科練出でしたから、海軍兵学校からも誰か行かねばまずいのでは?
そんな空気の中で、関大尉がゆくことになるわけですが・・・

「私に行かせてください」
そう彼が申し出たというのが、まわりの関係者たちの言葉として残っていました。


ところが、戦後になって、あれはでっち上げで本人は行きたくはないのに命令されたのだ、という説が出てきます。

「彼の性格からして、絶対にそんなことを申し出るはずがない」
関大尉の幼馴染の友人とやらが、どこかでそう語っていました。まだ新婚ほやほやの妻を残して、自ら死を選ぶはずはない、と。

これを読んだときにも、やはり心の中に疑問符が浮かびました。
例え、どんなに仲の良い親友だとしても、そこまで言い切れるものだろうか?
まして兵学校で教育を受けて、戦闘機乗りになって最前線で決戦に臨んでいる人間の心を、そう簡単にきめつけられるのか?

そもそも一人の人間が、生死の関頭に立たされたとき選んだ決断や行動を、そこまで忖度してよいものだろうか?

もしも、関行男大尉が伝えられるとおりに、自ら選んでその行動をとっていたのだとしたら、友人の言葉は逆に死者を冒涜していることになりませんか。
命令されていやいやながら、仕方なしに突っ込んでいったんだ、などと決め付けることは誰にもできないはずです。

さまざまに、推し量って死者を偲んであげることと、勝手に忖度して決め付けてしまうのとは、まったく別のことです。

愛妻を残して、恋人を残して戦争にいった人は、数え切れないほどいたはずです。特攻でなくても戦場はいつだって、死と隣り合わせですから、かれらはみなその覚悟はできていたのでしょうね。

彼らを送り出した、基地指令の猪口航空参謀が確かいってましたね。
遅かれ早かれ、自分たちも死ぬんだと思っていた、と。






posted by shuuin at 18:46| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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