2007年06月16日

こちらの事情、あちらの見方


いわゆるシナ事変のはじまる前の、現地の状況などをみていると、現在伝えられる中国の姿に、あまりに似通っていて驚きます。

ところで昭和11年5月に、シナ駐屯軍が2倍に増強されました。
このことも今では、急に倍増して陸軍が戦争の準備をしたのだ、というような見方で片付けられています。

でもこれは、実は北支(今の中国東北部)に、関東軍に口出しさせないための処置だったのですね。

だいたい駐屯軍ですから、これは居留民の保護が目的。
シナに駐屯軍を置いていたのは、これは北清事変以来の取り決めで、各国ともに置いていました。
北清事変は、いまは義和団事件と呼ぶんですか。かって、「北京の55日」という映画になりましたね。

で、昭和11年5月の時点でも、日本以外に、英、米、仏、伊が駐屯しています。
居留民の数は国によって違います。英国、米国はそれぞれ千人ですが、駐屯兵は英千人、米千三百人。仏、伊に至っては居留民の2倍半の兵力です。
これはなにを物語るんでしょう?
つまり各国とも、居留民一人当たり一人以上の警備をつけないと、安心できなかった・・・・・・

ところで、日本人居留民は13800人。
日本人が多いのは、過去の交流と、なによりもその地政学的な宿命ですか。
これに対して、シナ駐屯軍は1874人。

この当時、各地で日本人が殺される事件が、それこそ頻発していました。よくこれだけ、日本人が殺されてと、不思議に思うほどで多発しています。
勝手に想像すると、これがアメリカやイギリスなら、すぐに全員を本国に引き上げさせたのではないか?


関東軍にしてみれば、そんな駐屯軍の応援のつもりか、事あるごとに北シナに容喙する。
ところで、このとき参謀本部と陸軍省は、シナとは事を構えないようにと方針を決めていたのですから、とにかく関東軍をおさえる必要があります。
その結果としての、シナ駐屯軍の増派だったのです。
これで、旅団規模になったわけですから、北支のことは駐屯軍に任せて、関東軍は満蒙の本来任務に専念しろ、というわけです。

これはまったく、こちらの事情ですが、それが向こうにどう見えたかということまでは、あまり考えてなかったようですね。














posted by shuuin at 18:50| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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