2007年06月18日

不気味な嫌がらせ

北シ処理のことはシナ駐屯軍司令官のみに任せることを、くどいくらいに関東軍に釘をさして、そのために駐屯軍の人数を増やしました。

その結果として、生まれた第八中隊ですが、ふつう三個小隊で一個中隊が構成されます。ちなみに中隊長は大尉クラス。
小隊はさらに4分隊にわかれます。ですから、ひとつの中隊には12の分隊がある。分隊というのが最小戦闘単位になるわけ。
この、大隊→中隊→小隊→分隊という構成は、どこの国の軍隊も同じようですし、現在でもかわってない?
違うとすれば、人数とか隊数ですか。

日本陸軍では戦闘時の一個分隊は定員16人でしたが、この当時、駐屯軍は12人編成だったそうです。つまり、戦時編成ではなかった?
ですから第八中隊の人数は、将校を入れて約150人になりますか。

海軍でもそうですが、平時の兵隊の仕事はただひたすら訓練ですから、大変ですね。宿営地のほかに演習場が必要になる。
受け入れにどうぞといっていた、シナ側の動きが裏で変わってきていたのですが、その変化の真相は日本側にはずっと後になるまでわかりませんでした。
ソ連共産党やコミンテルンの力が、深く浸透し始めていたことに・・・・


ともかく兵士たちは、内地でやるのとまったく同じ訓練を、離れた広い河原のジャリ場にかよって行いました。
途中で中国軍兵舎の前を通るときなどに、さまざまな嫌がらせをされたらしい。
唾を吐く、大声を出す、聞こえよがしになにか言う、急に歌いだす。
悪態をつかれて、意味はわからないけど憎々しさはつたわる。
銃を向けて射つまねをする。銃をガチャガチャ言わせて威嚇する、等々。
最近の反日デモや、いろいろなニュースを見てもおよそ想像はつきますが・・・・・・・
手をださなかったのは、日本軍の威光?をおそれたからだったのか?

一人で街に出て、殴られて血まみれになった衛生兵などはいましたが。
北京や天津では、外出禁止なども下令されてたとか。

初年兵が歩哨のときに、中国兵が入れ替わり立ち代り、はしごで日本軍の宿舎を覗き込む、と。
なんか気味が悪いな、と思ったと述べてますが、注意することもできなかったようです。

先の、数々の嫌がらせにしても、兵隊同士仲間内では「なんだか変だなあ」「なにが起こっているんだろ」、と噂しながらも、それが中隊長や上のほうまで伝わるわけでもない。
ちょうど、子供が嫌がらせやいじめにあっても、親はまったく知らないという状況に似てませんか?
悪口言われました、ツバはかれましたと、一々報告できませんしね。
「なんていわれたんだ」「よくわかりません」では、逆に叱り飛ばされそうです。

いじめに似てるといったのは、北京にいる上層部に、まさにこの時期の空気を、「二十九軍(中国軍)とは、うまくいってた。むしろ好感を持っていた」などと証言した参謀長がいましたから、かなりのずれがありますね。

現地の様子を聞かれるのも、中央に報告するのも、兵隊ではなく彼ら佐官クラス以上ですから。

現代社会にも、学校や会社にもよくあることのような・・・・・・
いや、政治の世界にこそあてはまる?

ところで、年が改まると昭和12年。
あの二年兵が満期除隊で内地に、代わりに内地から初年兵がやってくることになります。

なんだか、二年制の学校の運動部みたいだと気づきました。
兵隊は軍隊そのものが兵隊学校?
内務班というのは、毎年新人教育するための学校だったわけですか!

ところで分隊というのは、戦闘時の分け方でした。陸軍での軍隊生活は、内務班単位で行われたそうです。いざというときには、内務班長が分隊長になる仕掛だとか。

で、新しい初年兵の訓練が、ある二つの事情で激しいものになるのですが、これはあくまで「こちらの事情」。シナとはまったく無関係だったのです。








posted by shuuin at 18:27| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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