2007年07月24日

日本の遺産

中越沖地震の原発被害の陰に隠れてしまっていたが、リケンの柏崎工場が地震災害にあったことにも、実は秘かに心を痛めていました。

昭和に生をうけて人生の大半を昭和とともにすごした人間には、リケンという言葉を聞いただけで、ある種の感慨を覚えてしまいます。

現実のニュースでは、トヨタが生産ラインをストップした、その他の日本の自動車メーカーのほとんどが操業停止のやむなきに至った、という報道でなにか大事な部品工場だったのかな? 
マスコミも世間もただそれだけで、もはや忘れてしまったようです。

でも、地方の一工場の被害で日本の自動車工業のほとんどが生産停止するというのは、やはりいろんな意味ですごい出来事かもしれません。
危機管理とか、被害分散とか代替とか、生産様式にかかわるメーカー側の教訓は別にして、ここではリケンの唯一無二の技術力とか信頼性にあらためて敬服します。それと同時に、やはり伝統の力というか過去から伝承された遺産の大いさを感じます。
だって、世界のトヨタが車の心臓部ともいえるエンジンの特定部品調達を、100パーセント一社の一工場に任せるというのは異例?

このリケンという会社は昭和とともに生まれて、戦前戦中戦後と昭和の歴史そのままに生き続けて、現在に至っているんですね。

(株)リケンというのは、戦後も昭和54年になって商号を変えたわけで、それまでは常に会社名に含まれるのは理研の二文字。
つまりは、あの「理化学研究所」を淵源にする数多の理研グループの一社です。

理化学研究所自体は、あのタカジャースターゼで有名な高峰譲吉が提唱して、財界人渋沢栄一などが賛同して生まれた日本の自然科学研究所。
今で言えば、世界的なシンクタンクというか、とにかく財団法人組織ですから、寄付を集めて営利目的ではなく、科学研究第一に日本と日本人のために、むしろ人類のために貢献したユニークな研究所でした。
昔の日本人は偉かったなあと、つくづく思わされます。

そこで研究した綺羅星のような人たち、その残した世界的な業績のかずかず、そしてそこから生まれていまに続くかずかずの技術や企業。

今度の地震で被害を受けたリケンは、そうした遺産のひとつだったわけです。

自動車に限らずレシプロエンジンのシリンダ内を動くピストンに、ピストンリングがついている事は誰でも知ってますが、そのリングの画期的製造方法を発明したのが理化学研究所大河内研究室の海老原博士でした。(こういう研究室が、たくさんあったんですね。仁科芳雄研究室とか・・・)その発明は各国で特許をとりましたが、それが大正15年、つまり12月には昭和元年になった年。

で、翌2年に発明を企業化するための理化学興業(株)が設立されて、日本で初めて実用ピストンリングが製造されます。地震被害にあった柏崎工場は昭和7年に造られました。
昭和9年には、柏崎工場だけを切り離して理研ピストンリング株式会社になります。つまりピストンリング専門で、一本立ちするまでに成長したわけです。ちょうど岡田啓介内閣のできた年です。

そして昭和13年には、理研特殊鉄鋼(株)と合併して理研重工業(株)と改称されます。
この流れに、ずばり昭和の歴史が感じられます。

当時、日本の工業は軽工業中心のでしたが、重工業化がいわれそれが具体化し始めたのがこの頃。近衛内閣の産業五ヶ年計画がはじまり、日華事変が深みにはまりかけた時代にあたります。

昭和14年には、埼玉県熊谷市に自動車と航空機用のピストンリング工場を建設。これなどは、民需より軍需に応じたためかもしれません。
この頃には、産業物資動員計画が動き始めていましたからね。

ところで、理化学研究所が生んだ諸企業はこの頃には理研コンツエルン(会社数62、121工場)と呼ばれるまでに大成長していました。
理化学研究所の各研究室の、各分野の成果をそれぞれ企業化したらこうなったわけですから、いかにすごい叡智が収斂されていて、たくさんの研究成果を産み出していたかわかります。

昭和16年には、理研重工業はコンツエルンの他の6社と合併して理研工業(株)となって、全国に26工場を稼動します。
17年になっても電気炉によるピストンリング製造に成功していますから、大戦が始まっても研究開発は続いていたわけですね。
ピストンリングは、航空機や自動車のエンジンに欠かせないわけですから、理研に対する軍需工業などからの期待と注文はかなりのものがあったでしょう。

昭和20年の終戦で、すべての工場は生産中止。


でも産業がすべてストップしたら日本は消滅しますから、占領米軍の司令部GHQが許可した平和産業と呼ぶものだけが、再開を命じられます。そうです、軍事転用が可能な航空機の製造はその後長く禁じられてしまいます。

理研工業も、自動車用ピストンリングの鋳造品と農機具の製造だけに限って許可がおりて、昭和24年に復活。

その後も、いろいろと戦後経済、産業の波がありますが、脈々と理研魂?は続いて今の、柏崎工場があるのですね。

いま、騒がれているのはおそらくリフロン材のリングシールのことではないか、と思いますが・・・・・
従来のピストンリングなら、代替品はいくらでもありそうですから。

ところで、柏崎工場は早くも再開にこぎつけたようですね。何はともあれ、よかったです。日本のためにも、日本の国民のためにも・・・・・・

先人の遺産を大切に、それがあるからこそ物づくりができるし、新しい技術も生まれるのでしょうから。
コンピューターが何かを生み出すわけではない。それはただのツールに過ぎないわけで、営々とした日本の技術の伝承こそが、本当の日本の宝物・遺産だとしみじみ思います。








posted by shuuin at 19:08| 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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