2007年08月09日

原爆機を探知して

残暑厳しい今日は長崎忌ですが、この日になると必ず思い出すのはあの「長崎の鐘」のメロディーです。
「こよなく晴れた青空を、悲しと思う切なさよ・・・・・・」
この歌いだしの文句が、条件反射のごとく頭の中に浮かび、声に出さずに口ずさんでいる自分が不思議です。きっと昭和に育まれた私の脳に、刷り込まれた記憶なのでしょう。

永井隆博士のことを思い出して、あらためてWEB上で調べてみましたが、今年はふと、あの遺児のご兄妹がどうされているかと気になってしまいました。幸せにご健在で、間もなく迎えるお盆にはご両親の昔を偲んで語り合われるといいな、そんな空想をしてしまいました。

余談ですが、長崎市のHPの中に、永井博士のことが要領よく書かれているサイトがありました。
昭和の時代に、こんな素晴らしい日本人がいた、それを知るだけでもきっと感動して、また勇気をもらえると思います。10代20代のみずみずしい感性を持った若い人たちに、ぜひ知って欲しい。
人間の尊厳とはなんなのか、生きて行くことの誇りを教えられるはずです。


ところで、日本の上空をB29がわがもの顔に悠々と飛んで、焼夷弾で絨毯爆撃をして、かれらのいわゆる「火攻め攻撃」焦土作戦を敢行してました。
いくら戦争末期とはいえ、そこまでやられっぱなしだったのは、このB29は高高度を飛ぶために、高射砲や通常の戦闘機が届かなかったからのようです。

では、探知はしてなかったかというと、探知はしていたんですね。
B29による本土空襲が始まって以来、その一機一機の番号を全部識別していました。今日はどこの誰が日本にやってきたか、どこで誰がケガをしたかまで、全部わかっていたそうです。

それを探知していたのが陸軍中央通信調査部、この名は創立当時の名称を看板にしていたまでで、本当は大本営中央特殊情報部でした。

で、原爆機とまではわからなくても、なにか通常のB29群とは別の特殊任務らしい単機が、しばしば日本本土の上空を飛ぶのをはやくから不審に思いマークしていたといいます。

そのうちに、広島に原爆が落とされてからは、異様に見えた特殊任務の実体がわかって、長崎の時にはいち早く警戒警報を発したそうです。

でも、原爆機が向かっているぞと直前に知らされても、どうすることもできませんね。長崎のときはですから、その情報を知らされた人々はもうすぐ原爆が落ちてくると知っていたことになりますね。
何かの役に立ったのでしょうか? かえって苦しみが早くきたかも知れないなどと、あらぬことを想像しました。


それにしても、長崎を最後の原爆被害都市にしたいというのは、ヒューマニズムの観点からは誰も異論がないことでしょう。
考えてみれば、イデオロギーとか政治とかは愚かしいものかもしれませんね。

核兵器保有国は、米、英、仏、露、中、これ安保理常任理事国ですね。(日本が常任理事国入りしたいなんて、大それた願望だったかもしれない?)それに印度、パキスタン。北朝鮮、イスラエル、イランが続いている。現実世界はこの十カ国で動かされるかも、というのは暑気あたりの真夏の悪夢で終わって欲しいものです。

ところで、B29のBはボーイングのことだとご存知ですか?
いま日本の空を飛ぶ旅客機はほとんどがボーイングですけれど、戦後に日本の航空業界が復活して、羽田に日本航空のボーイングが・・・・・
あの時、日本人の胸中をよぎった複雑な思いを知る人も少なくなったでしょうか?







posted by shuuin at 19:31| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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