2007年11月07日

三丁目の夕日の頃

行く川の流れのように、日月は休むことなく過ぎてゆきますね。

いろいろな事情で、放置しているうちに時代の空気もすっかり変わってきて?、なにやら昭和ブームが起こっているのかなという気がしています。

それがあの「三丁目の夕日」がきっかけだとしても、とくに若い世代の人たちが自分がまだ母親のお腹に宿る前、つまりは親たちの生きた時代を知りたいと思ったとしたら、とても自然で健全な感覚だと思うのです。
文学や歴史へのほんとうの入り口はそこから始まるのかも知れません。

過去を知りたいという感情は、生き物の中で多分人間だけが持つことのできるものでしょうね。
それは、自分のアイデンティティーを知ること、ひいては日本人であることを確認することにもつながってゆくかも?ナンテネ。


それはそれとして、映画「ALLWAYS三丁目の夕日」のこと。
続編上映にあわせて、先日テレビでやっていたのを、もう一度じっくりみてみました。

その昔ごく当たり前だったことが、失われかけるととても貴重に見えてくる、そんな感覚を味わいました。
人のぬくもり、人情味、日本人独特の優しさと連帯感・・・・・

今の人たちには、別に日本人だけじゃなくて、人間ならみな同じだろうという意識が強いでしょうから、誤解のないようにすこし説明します。

やはり長い歴史の間、一国一民族の今から振り返ると世界の中でも稀有の国民でしたから、そこからかもし出される同胞意識は知らないうちに日本人の中に流れていました。いわばそれが日本人の血、DNAでしたね。

「なにしろわれわれは草食人種だから・・・」というのは、明治以来いわれ続けてました。日本は「水穂の国」でしたから、いたるところに田んぼがありました。
動物でも肉食獣と草食獣は性質が違うといわれますが、日本人のやさしさは弱い草食動物の持つ天性のものだったのですね。
で、最近は食生活の変化から、欧米人に負けない獰猛なのもでてきたわけですか?

ま、余談はさておき日本人は本来やさしい人種だったんですね。気の弱い、控えめで疑うことをしない、思いやり深い民族。

いつだったか寅さんが、光男を探して九州の島についたとき、あのトランクを道端において、通りかかった自転車の駐在さんに、
「おい駐在、この島に泥棒はいるか?」
「いません」
「そうか」とかなんとか、トランク置きっぱなしですたすた歩き出すシーンがありましたが、島の人たちには悪人なんていないのです。
ちょっとおおげさに言いますと、かっての日本は全部がそんな感じの大きなひとつの島、いってみれば元をたどるとみんな身内みたいなもの。
どこの町内だって町ぐるみで全体家族、夕日を見てたのは三丁目の人たちだけじゃなかった。一丁目、二丁目、四丁目だって・・・・・・。


ところで、映画のことで細かいことをいくつか。
最初に気になったのは、あの路面電車のことなのですが、あの継電器はあのころあったかな?

戦前からの市街電車は、全国どこでもポール式だったはず。
まえにNHKで田辺聖子の「芋たこなんきん」という朝ドラで、CGで再現した戦前の大阪の町を、現行の継電器の市電が走っていて仰天したことがありました。
昔の表通りを再現するときに、路面電車はかかせないようだからとても気になってしまう。
あの「華麗なる一族」では、神戸の街の再現に上海ロケを敢行したようですが、ポール式の本物の市電が走っていました。
CGで再現するのは、比較的簡単なのでしょうが、要は時代考証の問題なのでしょう。それにしても、昭和にも本格的に時代考証が必要になったということに、感慨深いものがあります。

ほかには、とにかく全体的に汚しすぎ、穢くしすぎの印象。
服部時計店なんてもっときれいだった。
最初にこの映画を見たときに、これは敗戦の20年代からのごちゃ混ぜだなと感じた覚えがあります。
昭和33、34年といえば銀座はもっときれいで華やかだった。

横浜の町にはまだところどころで、戦後の傷跡が残っていましたが、さすがに東京はほとんどわからなくなっていました。
もともときれい好きの日本人ですから、10年もたたずに首都は復興していましたよ。それに何より、空気がきれいだった。
あの頃、空が広かった、というようなコピーがありますが、映像で表せないものに空気がありますね。

外車は走っていましたが、国産車はまだまだですから、とにかく空気がきれいでした。
それと、東京の街はとても緑が多かった。古い写真を見ると、公園はもとより空き地や人家の庭先や、街路に至るまで草花や樹木の多いことに驚くはずです。


映画のスタッフたちが、昔をセピア色にするのは、かれらの考える昔、古いものは穢くて汚れてて古ぼけてるという先入観から、あえて汚しているのでしょうが、ちょっとやりすぎ?

鈴木オートの三輪車が、ダイハツミゼットだなと思うのは年のせいですが、実はミゼットが発売されるのは実際は昭和34年10月ですから映画の設定とは1年ずれます。そんなこまかいことはどっちでもいいのですが、問題はあの車ボロにしすぎです。
貧しくて頑張ってる時代にしたのでしょうが、あのとき三輪車はぴかぴかの新車であったはず?


ところで、三丁目に住む懐かしい人々ですが、淳之介少年や一平君たちを除けば、あの町の人たちはみんな戦前生まれなんですね。
六子ちゃんが戦中生まれかな。言葉を変えれば、みんな戦前に教育を受けて、古き良き時代を知っている人たちなんです。
その記憶があるからこそ、終戦の何年かで未曾有の辛い経験を受けても、不死鳥のように生き返ったのですね。

人情も連帯感も、お互いが日本人だからという誇りと矜持をみんなが持っていたから、誰が言わなくても自然に発露されたものなのですね。日本人同士という根底にある信頼といったらいいのかな。


いずれにしても、あの頃の日本と日本人にもどれたら、どんなにいいだろうという夢を見させてくれるだけでも、いい映画なのかもしれません。

実は、続編を見るのが楽しみなのですが・・・・・
























posted by shuuin at 18:33| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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